アンヘル・ニエト 〜モータースポーツ界の伝説〜

スペインではモータースポーツ界において黄金期といわれる時代がありました。その代表とされるのがロードレース世界選手権で殿堂入りともなった英雄、アンヘル・ニエトです。
アンヘル・ニエト  〜モータースポーツ界の伝説〜

最後の更新: 15 12月, 2019

アンヘル・ニエトはモーターサイクル界の伝説の人です。地元スペインでは英雄と讃えられていますが、成功するためには多くの障害を乗り越えなければなりませんでした。結果的には天才的ロードレーサーの一人となり、その生涯をバイクを捧げたことになります。モーターサイクル界に偉大な功績を残した彼の死はスペインはもとより世界中の人に衝撃を与えました。

ニエトは残念ながら事故によりその生涯を閉じましたが、モーターサイクル世界選手権においてのその輝かしい功績により今でもなお人々の記憶に強く生き続けています。彼ほど成功したロードレーサーはいないといっても過言ではないでしょう。

アンヘル・ニエト

過酷な幼少期

アンヘル・ニエトの幼少期はまさに熾烈なものでした。貧しい家庭に生まれながらもモーターサイクルへの情熱を若い頃から燃やしていた彼は、なんとかしてモーターサイクル界に近づこうと手を尽くして14歳でスペインのバルセロナに移りました。そこで実業家のパコ・ブルト氏との運命的な出会いを果たします。もちろん下積み生活から始めなければならず、ニエトは寝る所や食べ物と引き換えにバイクを掃除し、最終的には整備士へとなっていきました。

ニエトのドラマティックな生涯についてもう少し詳しく知りたい方はこのドキュメンタリーをご覧になってください。1時間弱の番組ですが、ニエトの親しい友人や家族が彼の子供時代とスポーツのキャリアについて話し合っているのを観ることができます。ニエトの人生は波乱万丈なので、きっと画面に釘付けになることでしょう。

モーターサイクル界のチャンピオン

ニエトのロードレーサーとしてのキャリアは1964年デルビに乗ることから始まりました。最初のシーズンは運転疲れと事故の連続により非常に苦しい思いをします。しかし1969年には初のフルシーズンを完走し、50ccクラスで世界チャンピオンになりました。この時代、まだスペインではモーターサイクルのレース自体が世間一般に浸透していなかったため、まさか誰もスペイン人がチャンピオンになるとは思いもされていませんでした。

それ以来、ニエトはどんどん素晴らしい結果を出し始めます。彼は50ccクラスで6つの世界タイトルを獲得し、125ccクラスでも7つのタイトルを獲得しました。これらはスペイン史上で初の快挙であり、これと同時にスペインでのバイクの人気が高まり始め、他のロードレーサーが競い合い始めました。ニエトの成功のおかげでスペインにおいてのモーターサイクルは最も人気のあるスポーツの1つとなったのです。

アンヘル・ニエト

モーターサイクルに捧げた生涯

ニエトは1986年のシーズンの終わりに引退しましたが、その後も彼の活動は常にモーターサイクルに関連するものでした。翌1987年、彼は自分のレーシングチームを設立しました。これは2シーズンしか競いませんでしたが、1990年代、彼はさまざまな分野でスポーツディレクターとして貢献しました。特にスペインの有望な若いロードレーサーを献身的にサポートしました。

さらに20年以上にわたりモーターサイクル世界選手権チームの一員を務め上げました。スペインのファンにとって、彼のようなチャンピオンの経験と知識を持つ人材を確保できることは大変な贅沢でもありました。またこの20年の間、ワールドカップは2つのチャンネルで放送されましたが、ニエトはコメンテーターとしても活躍しました。

悲劇的な結末

アンヘル・ニエトの死は突然で皆を驚かせました。彼はスペインのイビサ島で4輪バギーをシートベルトをせずに走行しており、自動車に追突されてしまいました。頭部に重傷を負い、地元の病院に運ばれてすぐに手術を受けて一旦は退院したものの、1週間後の2017年8月3日、容態が悪化して帰らぬ人となりました。

ニエトの家族はこの事故について、4輪バギーに追突した自動車が走行の際に安全な車間距離を維持していなかったとして、法廷で再び争う姿勢を見せています。

 


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